日本というものを感じる1日

最近方々から古事記がやってくるのです。いろんな方から古事記読んだ?と聞かれるのです。子宮や膣のお話しをするのであれば古事記を読まねば、と。

そんな折、たくさんのご縁をいただき伊都の国探索に行って参りました。

平原弥生古墳の研究家であられる井手將雪さまより古事記の解説、平原古墳の由緒についてお話を伺い、古墳へと案内していただきました。

考古学者であり平原遺跡の発掘にご尽力された原田大六さんのお弟子さんのお一人で唯一ご存命の方であられるということ。

臨場感溢れる、そして証明することを哲学としたお話しはいつまででも聞いていたいくらいおもしろくて。

古事記ビギナーには聞き慣れない言葉が多々ありつつも、とても興味深いエピソードを伺うことができ、ますます古事記に惹かれて行きました。

その後は伊都国歴史博物館の三苫節代さんより博物館内の展示品や歴史の解説をお聞きしたのですが、これまた楽しすぎて、凄すぎて、多くの感銘を受けました。

福岡って、すごい。というのはずっと聞いていましたが、日本国家の起原となる土地が現在の糸島にあるということを知り、驚きと共に嬉しさがこみ上げてきました。

中でも三種の神器である勾玉、鏡、剣刀のうちの鏡にテンションが上がりました。

稲作が始まった弥生時代にはすでに、太陽=陽、雨=陰の陰陽を駆使して写真にあるような鏡を使った豊作祈願が行われていたことに驚愕でした。これらの鏡がまた美しくうっとりするものなのです。

 
 
そして。本日の大きな、大きな気づき。

チネイザンや子宮・膣のお話をしていると、「結局それって何なの?」と聞かれるのですね。

わたしの中では会陰・子宮あたりに『いのちの素』『魂』『人格』のようなものが鎮座していて、それを外世界に表現する際に滞りなく澱みなく素直に心地よく出し切ってしまえる状態が、いわゆる自分らしいとか、あるがままにということだとイメージしています。

ところが経験やトラウマがある種の邪魔をして、足かせ・ストッパーとなって本来の想いとは別方向に行ってしまうわけで、その阻害物質を取り除くのがチネイザンだと定義しています。

本来あるべき自分に気づき取り戻していくこと。これを『ダイヤモンドの原石を磨く』と喩えてきました。

が、です。日本には『玉作り』というものがあり三種の神器の一つである勾玉を作るその過程の一つに『玉磨き』というものがあるわけで、しかも身近な土地がその名門だったわけで。

タイ・チェンマイで深い瞑想の後、とても懐かしさを感じたのと同じような感覚を、この伊都国歴史博物館の中で感じていました。

そう、何やらおめでたいこの日に『玉みがき』をやっていくのだと感じられたことが何よりのご褒美でありパワーであり、とってもしっくりくる表現と出会えたことをとても嬉しく感じました。

日本に生まれたということはそういうことなのだなぁと、しみじみです。
 
 
 
書きたいことはまだまだあるのですが、この凄さはぜひ糸島に足をお運びいただき、実際に肌で感じていただければと思います。

このご縁、この場を作ってくださったすべてのみなさまへ心より感謝申し上げます。