ヨガとの出会いを振り返ってみる

全くノーマークだったヨガというツールの出番が来た。

足を洗おうかと思っていたところの出来事。

これは今に始まったことではなく、ヨガを辞めようと思うと必ずやってくる「展開」なのである。

 

ヨガに出会ったのは2005年。彼氏に振られての暇潰しだった。

しかもピラティスやりたいのにスタジオが見つからなくて(流行り初めだった)

仕方なくカルチャーセンターのヨガクラスに入った。

当時、空手をやっていたので余裕だろうと思ったのだけど

マット1枚の上で動くのに四苦八苦し、汗までかいて

終わり際にはめちゃくちゃ上手なマッサージを受けた後のような

心地よい脱力感と爽快感に満たされていた。

 

何だこれは??と衝撃を受け

絶対ご縁だろうと思うほどのタイミングで

ヨーガ講師になるための講座が始まり、迷わずに参加した。

 

当時、ヨガは宗教だとか、怪しいだとか、まだまだそんな世の中だった。

とはいえ私はヨガという言葉は知っているがさして興味はないという程度。

だからすんなりとその道に入ることができた。

 

ところがその講座はヨガのポーズが云々というより

ヨーガ哲学を学ぶことによって自分自身を顧みるものだった。

そこで初めて、長年携わっていた西洋医学的観点から

心や身体といった人間そのものを観る分野を知ることができた。

 

間もなく、レポート提出のための実例が必要となり

職場の方々の協力を得て、こじんまりとしたヨガクラスが始まった。

月日は流れ15年。

何度となく訪れた閉会の危機を乗り越えて現在に至る。

 

そして現在、オンラインヨガという新たなスタイルにたどり着いた。

長年提供してきたリラクゼーション、ヨーガセラピーと呼ばれる分野は

「寝落ちヨガ」という形でスタートした。

寝る準備をして、おふとんの上だけで完結するもの。

終わったら接続を切って、そのまま寝られる、めちゃくちゃ幸せなやつ。

 

そしてもう一つ。

これは今のところ、お世話になっているコミュニティでの限定クラスで

しっかりと身体を動かすやつ。

でもアーサナを伝えるインストラクターさんはたくさんいらっしゃるので

私だからできるものとして

やはり呼吸や内観に特化したもの、そして身体や季節を感じたものにしたい。

呼吸を感じる。

体温を、血の巡りを、身体の内側を感じる。

そして心に触れていく。

 

これまでやってこなかったことへの挑戦は

思惑とはまったく別のところからやってきた。

自分を成長させていただける機会がほんとうにありがたい。

そしてまた、ヨガという世界がこんな感覚もあるのだということを

ヨガに触れるすべての人に感じて欲しいと思う。