手で触れること

『手から何か出してます?』

今日のイベントでお客さまから言われた言葉です。

手に関するコンプレックス

 

ボディワーカーに転じる前までは左脳ばかり使う生活で、目に見えないものは信じないし、むしろ怪しいと思っていて、セオリー通りに、マニュアル通りにやらなきゃ怖いタイプ。

だからアロマトリートメントを学んだ時に「触れたいところに触れて」と言われて完全なるパニックを起こしました。

触れたいところって?

どう触れればいいの??

どのくらい触れればいいの???

わからない。

 

で、もうひとつのコンプレックスというよりトラウマレベルの悩みは、緊張すると手が冷たくなることでした。

特に、自分の左脳的理解を超越したわからないことをやっている間は交感神経ががーーーーんと上がってしまい、どう足掻いても温まらない。だから冷える、の負のスパイラル。

だから冬の施術は本当に神経使うし、表面的だけでも温める方法をあれこれ試しました。

手をつくる

 

転じた直後の練習モデルさん100名施術の時、以前からお世話になっていたその道のスペシャリストの方が受けてくださることがありました。

その方が、「ちゃんと氣が出てるよ、大丈夫」と教えてくれたことが自信になったのですが、わたし自身は何が氣なのか、わからずにいました。

なのでその後、あれこれのセミナーや研修会に参加して、冷たい手を何とかする方法を模索し、ネットでもいろいろと調べて試行錯誤。

そして少しずつ克服できてきた気がします。

手で触れること

 

手は、素晴らしい道具です。

施術時には氣が流れる、氣が通る、力が抜ける、筋肉が緩む、そんなことを確認する感覚器官であり、最も特記すべきことは人に施すことができる器具でもあるということ。

前述のお客さま。その後、「触れられていると安心します。」とおっしゃってくださいました。

実はご両親がその道のプロであり、他人に施術されることはほぼほぼないのだとか。にもかかわらずイベントでの施術を受けてくださり、そのような言葉を届けてくださったことに感謝しかありません。

 

これまでに手技や理論をたくさん学んできました。学んでも学んでもまだ足りず、もっと何かできるはずだと足掻いています。

だけど「安心します」なんて言われた日にゃ、「触れる」ということ以上何もいらないのではないか?とすら思えてくるのです。

 

そんな中で学び仲間のなつ紀ちゃんのfacebook投稿の中の一文、

「専門性」という観念を取っ払い、人々の日常に深く浸透させたい。

という言葉に深くうなずきました。

誰もができる「なんでもないようなもの」が、いったいどれだけの本質や真理で溢れているか。

「氣の文化」「和の文化」そして「手のひらの力」を、ただ当たり前のように、各々の日々の暮らしに今一度取り戻し、根付かせて、隣の人に、次世代につなげていってもらえたらば、それがただ、ほんとうに嬉しいのです。

なんて素敵な言葉なのかと思います。

手で触れるということの本質はどんな理屈を並べても到底説明がつくものではなく、そこにある感覚を……それがどのようなものであっても……ただただ共に感じることにあるのだと思います。

それは我々のようなボディワーカーやセラピスト、治療家といった専門家ではなく、誰にでもできる最もシンプルで最も強烈な癒し。

「触れる」ことで、あなた自身を、あなたの大切な人を癒すことにぜひ興味を持っていだだき、もっともっと癒しの力が浸透すればいいと切に願っています。

なぜなら人を癒すことはあなた自身を癒すことでもある。わたしたちにはその権利があるのです。そしてそれを愛と呼ぶのだとわたしは思います。