朝からずっと頭にあること。
臨床検査技師は患者さんと頻繁に関わることはあまりないのだけど、入職したての頃に出会った一生忘れられない患者さんがいる。
彼はある血液疾患を持っていて頻繁に出血し、その度に輸血をして対処する…命をつなぐことを繰り返していた。
当然ながら具合が悪い時は近寄ることもできない。彼が心を許しているスタッフには怒りをぶちまけることもあったし、ご機嫌な饒舌の時には数時間に渡って話を続けることもあった。
そんなある日、例の如く鼻からの出血が止まらず来院した時、「こんなのは見らん方がいいけん…」と言ってカーテンを閉めたっきりしばらく出てこなかった。
そこから復活した数日後、処置室で恋愛観について話をした。
「昨日もね、すごいべっぴんさんに誘われたんやけど、俺はね、こんなんやし、いつ死ぬかも分からんけん、いいなと思う女と出会ってもそれ以上になることはできんっちゃん。男はね、女の人と子供を養ってなんぼやん。ここにも赤ちゃん産んですぐ働きよる看護婦さんがいっぱいおるけど、そんなのはダメやろ。子供には母親がそばにおることが大事。男はしっかり働いて家族を養わんと。でも俺にはそれができんけんね、無責任なことはできんとよ。だけん、ちゃんと稼ぐ男を見つけないけんよ。」
と話してくれた。
彼は色白のイケメンで……(当時はイケメンなんて言葉はなくて美青年と言っていた)、とあるスポーツの超有望選手だったと後から聞いた。ところが病気が分かり、そこで何もかもが食い違ってしまったのだ。
最後には入院生活を送ることになり、お部屋に心電図をとりに行った時には随分とぐったりしていて、目を合わせるのがやっとだったと思う。
毎日病院で会うのが日常になっていたのだけど、外来にやって来ない寂しさにようやく慣れたとある週末、何となく胸騒ぎがした。
週が明けて出勤し、お亡くなりになったことを知った。
私は泣くことしかできなかった。
7月か8月の暑い季節だったと思う。いくつまで生きられたのだろう?思い出せない。40歳には届かなかったと思う。
20代で病気になり、治療の術がなく、幾度と来る出血といつ死ぬかわからない不安と共に生きること、それを支えてくれる存在もなく孤独でいることを選択したことが、いかなる思いだったのかと私は未だに想像し尽くせずにいる。
綺麗事はいくらでも言える。たらればもたくさんある。でも実際に生きるって、そんなに美しいものばかりではない。
1月26日。生きていれば今日は彼の59歳の誕生日だ。彼が歳を取った外観もまた私には想像ができない。
それでももしどこかで彼に会ったら、私は今を精一杯生きていると胸を張って言えるのだろうかと、今日はずっと思っている。