目に見えない領域の理論を知る

シンガポールで癒しのイベントと称して施術会を行いました。

昨秋から共に過ごした学びの仲間たちへチネイザン施術。本当に素晴らしい時間でした。

45分というショートバージョンでしたが、終わった後のきらきら感、抜け感、なによりも存在の美しさに感動しました。

人って美しい。肉体って美しい。

施術を受けている最中の感覚も 起こる変化も人それぞれ。各々に必要なシチュエーションで始まり、必要な変化が起こっていく。

それもこれも全部自作自演。チネイザンというヒントに出会う前……いえ もっともっと前から自分で探し求めていたツールなのです。

そんな出来事…奇跡のような体験も含め…をたくさん体験させていただけたことが 本当に本当にありがたい時間でした。

その直後のチェンマイ入り。

チネイザンを学びながら 改めて人の素晴らしさを感じることができました。さらには人に触れること。触れられること。その意味と生じる感覚が齎す変容。

今回 この体験を通して「人」の成り立ちをもっと知りたくなりました。

臨床検査技師時代、わたしは目に見えるものだけを信じていました。可視化できるものと数値化できるもの。

ざっと数えても のべ8万件以上の細胞・組織を顕微鏡下で観察し、4万件以上の生体検査を経験しました。

これによって救われる命も確かにありました。

でもこれだけでは人の健康はなし得ないことも痛いほどに経験しました。

それは薬で状態をコントロールすることを治ったと思い込むこと、侵襲性の低い手術で症状が寛解し病気の意味を考えるに至らない状態であること。

我々の身体を構成するのは有機物ですが、ここを司る目に見えないものの存在なくして肉体は成立しません。

よくよく考えれば 「いのち」というものでさえ実は目に見えないもの。

心臓が動いているから生きているのではなく 意識があるから生きているのではない。

人間を人間たらしめるものの存在があるからこそ いのちがあるのです。

だから目に見えるものと目に見えないもの。どちらか一方が大切なのではなく 両方同時に大切なもの。

物質至上主義の中で我々がおざなりにしてきたものを今こそ思い出し 自分の肉体へと結合させていくことが これからの幸せというものにつながると思うのです。

人に触れれば触れるほど、この目に見えないものの存在を感じずにはいられません。

とは言え元々理論好きの左脳型人間。目に見えないものをロジカルに知りたい。

満を持して この本の智慧を授かろうと思います。