【 好きにすればええがな 】

ヨガの呼吸の時に

必ずお伝えしていること

「自然と空気が入ってくる

 その身体の動きを尊重する」

もちろん呼息時も同じく

    

 

 

知識としてものの道理を知ってしまうと

それが正しいのだと思い込んで

自分の肉体や時には思考そのものも

そっちに寄せてしまう

それが本当に自分にとって

必要であり心地よいものならOK

でも結果的に頭でっかちになって

自爆・自縛してしまうことが少なくはない

 

 

「自分を大切にする」ブームで

それを伝える側にもいるのだけど

実はわたし、

「大切にする」がよくわからんくて 笑

食べたいものを食べる

会いたい人に会う

言いたいことを言う

やりたいことをやる

大切にする名目でやればやるほど

そこなんかい?って思い始める

 

 

自分の思い(或いは思考)を

単純に叶えるだけでは

幸せになれない

なぜなら私たちは

社会の中で生きているから

人・物・ことの循環にいることを

忘れてはならない

そこを履き違えてはいけない

だから私は

「尊重する」という言葉を使う

どーでもいい解釈なんだけど

その方がしっくりくる

 

 

呼吸法をかじっていれば

吸息・呼息・子息はコントロールできる

そこに溺れちゃうと

自然呼吸が出来なくなることがある

呼吸法をかじってなくても

自然な呼吸ができない人が本当に多い

人は自然から離れた時に

バランスが崩れおかしくなる

不自然になる

自然な呼吸ができないということは

存在すべてがアンバランスであるということ

だから

自然と空気が入る

その身体の動きを尊重する必要がある

本来であればこの時必要な呼吸が

自発的に行われる

そこを捻じ曲げているのは

思考でありエゴそのもの、なのだ

 

 

呼吸は世界と自然と人と

自己とをつなぐもの

その呼吸を

私たち自身を尊重することができたら

決して利己的ではなく

「自分を大切にする」ことができる

もっと自然体で

もっと自分を信じて

自由の名の下で縛り付けるものを

潔く切り捨てて

解き放たれた自分で

幸せになろうではないか