ここ最近の朝ルーチンは自分の状態をノートに書くこと。

心のこと、身体のこと、それを如何に形にするのか。文字にすると整理されるからおもしろい。

普段あれこれと考えているようで実は何にも考えてないんだなぁとか、いっつも同じトコをぐるぐるしてんなぁとか、意外とイケてんじゃないかなぁとか。

知ってた風で掴めてなかったこととか、思わぬ本音が飛び出てきたりとか、変態アイデア出てきたりとか。

定点観測というのか、時間を確保して、しっかり地に足をつけて、他でもない自分の言い分を聞いてあげるって本当に大切だと痛感してます。

 
 
チネイザンやカルサイネンザンに出会って、胎底のモツに溜まったあれこれを大開放してきたのだけど、今また大きな波がやってきていて、じゃんじゃんばりばり大開放中。

直視したくないものはたくさんある。まだまだ抑えたいものもあるし言葉にしたくないものもある。

見て見ぬふりをしても実は何も困らないと思うのだけど、めんどくさい私を私として迎え入れるために、せっかくなので真摯に向き合ってみようと沼ってるところです。

 
 
例えば、の話なんだけど

肩こりや腰痛といった慢性疼痛は記憶にもない昔に感じた最初の痛みがあり、それを我慢してるうちに、他のところに波及してそこが痛くなり、そこを我慢してまた他のところが痛くなり、と痛みの我慢(痛み止めで麻痺させることを含めて)を積み重ねた結果して起こってくるもの。

ということは今の痛みをを取り除くと、その直前に我慢していた痛みの場所が疼き始め、そこを取り除くとそのまた前の我慢どころが疼き始める。

「痛みが移る」なんて表現をすることもありますが、実は痛みの原因をひとつ一つ剥がして行っているから痛みの場所が変わるのは当然の現象。

治療に行ったのに痛みが増した!のは施術者の技術の問題ではなく、そういうところに原因があったりします。

 
 
すっかり長くなりましたが、何が言いたいのかといいますと、身体の痛みがミルフィーユ状になっているのと同様、心の痛みも千層という意味のミルフィーユだと言うこと。

これさえ乗り越えれば!のその先にまた新たな剥がしどころが待っている。でも決して悲観的なことではなく、それが生きるということなのですね。

剥がして剥がして剥がしまくって輪廻転生のバトンタッチ先の未来世の負担を軽くしてあげる。そんなノリで剥がすことを楽しんでみてはいかがかしら?と思う次第でございます。

だから自分の想いを知る。そんな時間を大切に過ごしていただければと思います。

 
 
今朝は朝活してる自分に酔いしれながら、楽しみで仕方ない計画のあれこれをノートにしたためておりました。

以上、モーニングのすすめ、でした。