コロナ疲れ

ここまで来たら見て見ぬふりする方が不自然だなぁと思う今日この頃。

緊急事態宣言で我々ボディワーカーも仕事が絶たれた。

たくさんの不安と恐怖がやってきた。

お金どうしよう?

世間が落ち着いたら元通りに仕事はできるのだろうか?

そんなことに思考を巡らせながら

わたしって、そもそも価値がある人間なんだろうか?

なんてことまで考えてしまう。

おうちに引きこもりだから尚更のこと、どんどんと落ちて行ってしまう。

これまでのことを反省しつつ、見えない未来に思いを巡らせる。

この世の中の誰もが経験したことがない事態を

どう解釈すればいいのだろうか。

ほんとうにあれこれが巡っていく。

この引きこもり生活だからこそ見えてくるものがある。

そもそもわたし、何がやりたいのだろう?

時間に自堕落な生活を送りながら考える。

たぶん、自分一人で生きているのなら自制なんて全くできない。

社会生活の中で時間管理がされているから朝起きることができ

人との関りがあるから行動に移すことができる。

そういえばこのような引きこもりになったのは3回目だ。

1回目は子宮筋腫の手術をした後。

退院後1週間の自宅療養時は、一切外出もせず

ひたすらDVDとテレビを観て過ごした。

 

2回目は退職前の3ヵ月、年休消化中のこと。

この時もひたすらDVDとテレビを観て過ごした。

韓国ドラマの長いやつと、ワイド―ショーの1日。

この2回の引きこもり生活で、人は簡単に廃人になれることを体感した。

この2回と、今回の決定的な違いは、稼ぎがあるかないか。

ここはわたしにとってとても大きな背景である。

セラピスト、ボディワーカーになりたいと思いながら

その一歩を踏み出せなかった大きな原因は

まとまった、安定した収入を手放すことへの不安だった。

当時は、収入がなくなると想像しただけで

頭痛がして、全身が身震いしたものだった。

でも「この日本で喰いっぱぐれることはないから」

という言葉をもらって、安心して退職することができた。

とはいえ退職金もあるし、何とかなるだろうという楽観的な部分もあった。

ところが実際にやってみると全く収入が上がらない。

どうしたものか。

なかなか岐路を見いだせない。

そしてコロナ騒動。

お金の不安が一気にやってきた。

でも、穏やかなのだ。

あの時想像した身体の変化はない。

いや、まったく違うところに現れているのだ。

でも実際に、日本という国に暮らすメリットも感じながら

淡々と日々作業をこなしていっているという現実。

大丈夫、何とかなると思える瞬間と

わーわー、どうしよう?という不安に襲われる瞬間。

きっとこれもネタになるんだろうかと、そう思うことにしている。

そんなお金の不安と共に自分自身とひたすらに向き合っている。

先にも言ったように、ほんとうにやりたいことは何なのだろう?と思う。

ほんとうにボディワークがしたいのだろうか?

ほんとうに人に関わることがしたいのだろうか?

なのにこのスイッチがONにならない感じは何なんだろう?

わたしという存在は何だろう?

なぜ今こんなことを考えているのだろう?

人間として、女性として、このままでいいのだろうか?

時間があるということはこういうことまで考えてしまう。

と言いたくなるが、ほんとうは常日頃から考えるべきことだし

ここにアクセスするからこそ豊かと言われる人生を送ることができるのだと思う。

こんなことを考えていたら腰をやられてしまった。

ぎっくり腰ではないのだけど、仙骨のところが動かなくなった。

理論的にはあれこれと理由があるのはわかる。

けど今はそんなことを考えるのも嫌気が差している。

というのも、なんか、結局理屈なんてどうでもいいのだと思えてきたから。

起こる物事には理由があり、辿るべき道がある。

ごもっともだ。

でもやるべきことは、そこからどう這い上がってくるかにすぎない。

それでも、どうしてもやれないことがある。

タイミングではないのかもしれないし、必要ないことなのかもしれない。

でも、そんなのどうでもいい。

結局は、やれば叶うし、やらなければ叶わない。

それ以上でも、それ以外でもない。

やりたいならやればいいし、やらないのならさっくりと捨てればいい。

やらないと決めたことにしがみつくなんて、かっこ悪い。

そして、ほんとうの想いは何なのか。

少しずつ表現できるようになってきた。

もっとわたしに構ってほしい。

もっとわたしを理解してほしい。

愛されたい。

大切にされたい。

わたしが居ることに気づいてほしい。

とても不安だし、とても怖いし、

そしてどうにもならない現実に疲れているし

どうにもできない自分に腹が立つし

うまくいかない人生に怒りを感じている。

幸いにして他人に対する負の感情はない。

それでも自分自身や現実に対して

いらいらするし、腹立たしいし、むかつく。

そんな感情を抱いてはいけないなんて、知ったこっちゃない。

わたしには不満がたっぷりとある。

神様さえ恨むほど、むかつくし悔しいし切ない。

おなかをもんで手放すにはまだまだ味わい切れていない

そんな感情がわたしにはたくさんある。

様々な分野をチラ見してきたお陰で

思考や理論では何とでも言えるし

それを自分に押し付けることだってできる。

でもせっかくのコロナ騒動。

お金の不安も、自分自身の不安定さも、

今なら正々堂々とコロナ騒動のせいにしてしまえる。

誰の、何のせいだっていい。

わたし自身はとても疲れている。

そう思っていることを認めるだけで

随分と心が軽くなる。

身体が軽くなるまではまだまだ時間がかかりそうだが

それでもいろんな人たちのお陰で

楽しい日々を取り戻そうとしている。

だってね、

引きこもり生活は全然平気だと思っていた。

人と会わなくても、しゃべらなくても、

その方が楽だし、楽しいと思っていた。

だけど、そんな期間を経て人と会った時に

めちゃくちゃ楽しかったし、嬉しかった。

何よりエネルギーが巡る感じがしたんだ。

今までは、誰かに拒否されるのが怖くて

存在を認めてもらえないのが怖くて

その人にとっての一番になれないことが悔しくて

いつか飽きられてしまうことが辛くて

だから人とは距離を近づけないようにしていたんだって思った。

大好きだって言うのをめちゃくちゃ躊躇していた。

自分と相手との距離感が一体化しすぎてわからなくなるから

垣根を乗り越えすぎて厚かましくなっちゃうから

素直な想いを口にすることをしなくなったし、できなくなった。

誰かと誰かが仲良くなるのを見ると嫉妬しちゃうから

物わかりのいい振りをしてしれーっとしていたりする。

そんな自分をカッコ悪いと思っていたから尚更表現できず

間に割り込まないように配慮している振りして

すねて、こじらせていた。

あー、なんかめんどくさいな。

でもこういうのもコロナ騒動で強制的に来た向き合いだと思う。

宇宙をよくするためとか

人間の意識を向上させるためとか

人口の自然淘汰だとか

ウィルスと戦うとか

戦うなんて意識があるからいけないとか

共存しなきゃ意味がないとか

もーどうでもいい。

人間一人一人がただただ自分を満たすことに心から向き合う。

人がどうこうなんて、つべこべ言わない。

人がどう思おうと、その人の勝手だ。

人の価値観を否定して自分の価値観を押し付ける必要はない。

なんて言ってるわたしも同類なのだけど。

もうほんとうにどうでもいい。

元の生活になんて戻れない。

明らかに世界は変わる。

でもいつの時代であっても人ができることはたった一つ。

自分自身を大切にし、満たすことだ。

そう意識すれば自ずと方法は訪れ、道は開けていく。

わたし自身がそれを信じて、明日も頑張る。