そこに意味があってもなくても もはやどーでもいいのだけれど、人の皮膚に触れる機会から遠のいている間ずっと「触れる」とはなんぞや?について考えていた。
触れる、コミュニケーション、伝える、つながる、ことによってもたらされるものとは。たまたま手に取った本に欲しかった答えがあった。
『 直接的に触れたり、近くで寄り添ったりして境界の感覚を拓くことで起こる「心の反応」は、人としての生きがいや尊厳を保つために本質的な意味を持つ。』
皮膚は自他を境界する物質であり精密な感覚器官であり自己表現の道具である。
その皮膚に触れたい・触れられたいという思いの根源は不安感や自尊感情の低さにあることが多いと感じる。それは決してネガティブなものではなく、生命体として当然の欲求である。
例えば心に大きなストレスを抱えている場合、忙しすぎてあっぷあっぷになっている時、癒すために最も有効なのは触れることによって皮膚感覚を取り戻すことである。
いろんなセオリーで言われている通り、温める、ゆっくり滑らかに触れる、長く続ける、これが効果的であることは体験的にも同じくする。
そして「手で撫でる」ことが何よりも大切である。手で触れることは感情に関わる島皮質の活動がより高まる。よく言われるオキシトシンの分泌という点においても断然 手で触れることが優っている。
さらにはこのように癒され緩んでいる時には潜在意識領域へのアクセスが容易になる。要は「本来の自分」と言われるものが顕現化しやすくなるのである。
このことを知っておくだけで自分自身を大切にするということがもっと身近になるのだと思う。
触れられたいと感じる時。肩が凝った、首が痛いというところを越えた心身の疲労がある時はぜひボディワークと呼ばれる領域を試してみて欲しい。
「私は私である」「私はここに居てもよい」「私は私でよい」
世に言うマッサージの概念をはるかに超えた深い自己癒しを感じることができるはずである。