【 もっと力を抜こう 】
病院勤務時代のお話。
電灯が切れたら脚立を担いで交換する
検査システムをSEばりにいじる
ソフトウェア整備もやっちゃう
機械メンテナンスも分解しまくってやっちゃう
マニュアル整備しまくっちゃう
自宅でもパソコンのセットアップも、DVDや音響周りも業者さんに頼んだことはなく、ぜんぶ自分でやっちゃう。
自慢したいわけではなく、人に頼むのが面倒、頭下げるのが嫌だ、自力でできることはやらねば、でやってきました。
それは両親が、「自力で生きて行けるように」と育ててくれたから。
そこだけは忠実に守り抜き、人に頼れなくなっちゃいました。かわいくない女です。
わたしは10年に一度ほど何かしらで入院生活を送ることになるのですが、その度にうるるんとくる言葉をいただきます。
「甘えていいからね」
看護師さんの力は偉大だと毎回思います。
頑張り過ぎて身体がSOSを出していることにも気づかず入院する羽目になっているところにこの言葉が来ると、心のバリケードと共に涙腺が崩壊です。
そう、頑張り過ぎるという事は、心も身体もがっちりと硬くなり閉じてしまうのです。
そんな状態になる時、そしてついつい自分本位になってしまう時にいつも思い出すようにしていることがあります。
「人は生まれた瞬間に3000人のお世話になっているんだよ」
出産に立ち会ってくれた人たち、その病院や施設、使用する物品を作った人や納入業者さん、水道、ガス、電気、その他数えきれないくらい身近にあるのに気にかけないものの存在。
自力で生きて行こうということは、空気から、地球から、宇宙から我が力で創り出す必要があるという事です。
ということは知らず知らずのうちにわたしたちはすでに誰かに甘えていて、十分に迷惑をかけていて、嬉しい想いを提供できることもあれば、気づかぬところでずたずたに傷つけていることだってあるわけです。
本当は人に支えられている。
決して一人で頑張る必要はなく、ふと力を抜いて今を俯瞰することで、何か心持が変わることもあるはず。
もっと力を抜いて、人の好意に甘えてみるのも、人を喜ばせる方法の一つだと思います。
追伸。
それだけがちーーーっとやり込んでいたわたしでも、ビンや缶の蓋がどうしても開かない時があって。
やれることやって手の皮がむけそうになったタイミングで、当時、我が部署で唯一の男性であった直属の上司に「開けてください」とお願いに行くと、その時だけは口元をゆるめて開けてくれていました。
普段はわたしが話しかけた途端に眉間にしわが寄るほどわたしのプレッシャーを感じていらっしゃって。
蓋が開かないという当時のわたしにとっては敗北感を味わうようなことでも、男性の立場としては頼られることのうれしさのようなものがあったのだなぁと懐かしく思い返すことがあります。
甘えるという言葉の定義はとても難しいもの。
少なくとも自分や周りの人を不快にさせるほどの力みだけは解放してあげたいものですね。