【 チネイザンの恩恵 】
そもそもわたし自身がチネイザンから受けている恩恵ってなに?というお話。
サラリーマン時代はずーっと愚痴ってばかりでした。
ありがたいことに、延々と続く愚痴をずっとずっと聞き続けてくださった先輩がいらっしゃったからどうにか乗り越えてきました。
ほんとうに延々と延々と吐き続けたのに、それでも解決の糸口も、答えもまったく見つかりませんでした。
それはわたし自身の中にある「何をどうしたいのか」が明確でなかったから。
そしてどうすればそこに辿り着けるかが分からなったから。
そんな時にマッサージで感情が解放できると知り希望を感じることができました。
仕事を辞め、チェンマイに渡り、子宮ケアであるユーファイと共にその手法であるチネイザンを学びました。
チェンマイの地で初めて施術を受けた翌日に大きな解放が起き、旧市街の中心にあるワット・プラシンで大号泣しながら癒してもらいました。
感情が内臓に溜まる、それをマッサージで解放していけるなんて。
1ヵ月の滞在中にチネイザンもカルサイネイザンも幾度と受け、数十年の大きな荷物を随分と取り払って帰国することができました。
チェンマイ入りした時と、帰国時の顔やまとってるエネルギーがまったく違ったものになっていました。
あれだけ愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴しても堂々巡りだったものが、そんなことで楽になれるのかと、目からウロコというか、見える感じる世界が変わっていきました。
もちろんすぐに何かが変わったわけでもありませんが、らっきょの皮をめくるように、たまねぎの皮をむいていくように、わたし自身を縛り付けていたものをひとつひとつはがしていくことができています。
そうなると、ほんとうに力が抜けて楽になります。
人の想いを受け取ることもできるようになるし、人のことを理解しようとすることもできる。
起こることを素直に受け取ることもできるし、前を向くこともできる。
どう在りたい、何をやりたいかに意識を向けると、ほかのことはどうでもよくなる。
そこをクリアにしてくれるもの。
曇りガラスを拭いていくような、ボーリングの2投目でも倒しきれなかったピンをががーっと掃除するような。
わたしにとって、チネイザンはそんなイメージです。
自分らしい人生だとか、好きで生きていくとか、そんなことが流行りもてはやされていますが、そのためにはあくまでも主体的でなければならない。
主体的であるということは、自分の心底にある想いが明確でなければならない。
そのためにはもやもやもやもやもやもやもやもやしたものをすっきりさせればいい。
おなかのマッサージで、そこに辿り着けるなんて、素敵すぎる。
だからわたしはチネイザンが大好きだし、何かしらで行き詰っている人に届けていきたいなと思っています。