ボディワーカーとして抱いている目標は
- とにかく引いていくもの
- 肉体としてのそもそもを見つけ伝えること
- 例えば電気がなくても極地であってもつつがなく提供できるもの
今知り得る限り、チネイザンやその先のカルザイネイザンは肉体と心にしっかりと働きかけるものとしては究極の施術だと思う。
ただ、今提供している、できている施術はオイルを使うことにしているのだけど、ここが何とかできないかなと思っていたところ、素晴らしいきっかけをいただき挑戦することができた。
完全個室ではない空間で、着衣でお腹に触れる。しかも15分という短時間で。
やれるのかなぁなんてことは一切考えない。やれるとわかり切ってからやるのではなく、環境がどうであれどうにかするのだ。やるしかない状況に追い込む。
だから挑戦なのだ。
段取りを考えず、ただただその人が触れてほしい場所を探し、手法も考えず、ただただ手が、身体が動くその動きに従う。
「めちゃめちゃ気持ち良かった」
「極上の癒しだった」
「もっと長く味わってみたい」
そんなご感想をいただいた。
お互いにとってパーフェクトなのかどうかは結局のところわからない。
けれど、心地よかったという感覚があればそれで充分なのだと思う。
私は治療家ではない。
そこに甘んずるわけではないが、私にできることは心身をフラットにすることである。
症状をひとつひとつ取っていくことではない。
この世の中には良き情報が溢れかえっている。健康のこと、病気のこと、生き方のこと。いろんな概念があり、いろんな方法があり、いろんな着地点がある。
その諸々の多くがなぜ実現化されないのか?
それはその方法を使いこなせる土台がないからである。
あなたの肉体は完全に整っているのか?あなたの心は完全に空っぽになっているのか?あなたの感覚は完全に研ぎ澄まされているのか?
わたしはきっと、こんな「そもそも」なことを伝えていきたいのだと思う。
正論は通用しなくても、そもそもを知っているのといないのとでは雲泥の差がある。
もちろん、そもそも、なぜ生きたいのか?どんな風に生きたいのか?どこにたどり着きたいのか?が大切。
幸せになりたい、健康になりたい、寿命を全うしたい。
のであれば、現実を直視する必要がある。
そもそもを知る。というのはそういうことである。
新たな挑戦を通して得られた感覚は、わたしのこれからを大きく後押ししてくれるものであった。
画像は初めてお出かけしたマッサージマット。温存しすぎてカバーがしわっしわになっているけど、持ち運びが意外と簡単だったということも、見える世界を広げてくれたと思う。
一緒に写っているのはチェンマイで買ったドラえもんバッグ。かなり重宝なのである。