得意なことを見つけていこう

【 熱苦しい生の話が伝わる悦 】

この一週間で4回ほどお話をする機会をいただいた。なんとありがたいことか。

ずっと自分の肚にありつつ表現したことがない領域を初めて視覚化、言語化した達成感。

もっとシャープに表現でしたい、もっと深いところにアクセスしたいという欲。

思考を巡らせてアウトプットし、言葉として細胞に響かせ浮き出る安堵感と違和感。

 
 
 
そんな中で「頭では理解できなくても魂に響いている」と表現していただけたことが本当に嬉しく、表現することの悦びの在り処を確信した。

タイトルとニュアンスは違うけれどテーマは一貫して「生」についてだった。

誰もが魂レベルでその感覚を渇望している。だからただシンプルに伝わったことが震えるのだ。

 
 
わたしたちが揺らぐ大元は生命の存在に対する危機感だ。確実性の欠如と喪失の恐怖。そこに今や無限にある情報やメソッドのあれこれを植え込もうとする。

建物で例えるなら、基礎部分・土台部分が不安定でありながら、いきなりにおしゃれな家具を購入・搬入しようとしているのようなもの。

それはダメなのではなく、もったいない。

強固でありクリーンとなった建物に配置するからしっくり来るのだ。

 
 
肉体でいう基礎・土台部分を整えることを大概の人はやらない。それはありきたり過ぎて何のおもしろみもないのだ。

ねばならないという概念も、絶対的な正解も、そこには何もないのだけど、おそらく、わたしたちが心身共に健康であることの根本は自己存在にOKを出すことだ。

最も厄介で、でもやはり最も強力なもの。

だから揺るがない、あるいは耐震性のある建物を作ることと、内部をきれいに掃除をすることの大切さを施術・講座を通して、わたしはお伝えしているのだなぁと、この一週間を通して強く感じさせていただいた。

一人でも必要としている人がいる限り、そんなことを熱苦しく語り続けるのだろうなと、そこにわたしの幸せがあるのだろうと、うっすらと肚落ちした蠍座満月あたり。