ボディワークは直感を磨くためのもの

ボディワークの大きな特徴は
『触れる』ということ

症状が改善されることは
嬉しく喜ばしいことだけれど

ボディワーカーの着地点は
おそらくそこではない

その症状に至った要因と
症状を超えたその先の希望

そこに限る

じゃあ『触れる』って何?

ということを再塾考しながら
おもしろい記述にたどり着いた

 
 
触れることの可能性は
計り知れず存在するのだけど

触覚というのは
五感の中で最も軽んじられているらしい

ところがその皮膚の感覚というのは
実は『直感』につながるものなのだ

 
 
経営というものを例に取ると
その判断には理論と直感力が不可欠で

理論は知識、理屈、計算、経験から
生み出されてくる

ところが世のほとんどが
そんな計算では済まないことばかりで

そこには直感、ひらめきなど
肌で感じるものを敏感に捉える必要がある
  
 
 
先見の明がある経営者は
頭だけではなく身体も同時に鍛える

身体感覚の中でも
とりわけ皮膚感覚を鍛え

世の中を感じ取るための
精度の良いアンテナにしているのだという

Don’t think, feel

他人が軽んじる感覚だからこそ
鍛える価値があるのである

 
 
さてその本の中で
チネイザン的にさらに嬉しいのは

『直感というのは
 皮膚や内臓から生み出されてくる
 感覚なのだ』

という件

『感覚器官としての皮膚
 あるいは内臓としての皮膚
 の感性を磨き

 判断や意思の決定の際の
 信頼に足る良き僕として
 鍛錬するのだ』

 
 
チネイザンの世界で
なぜ内臓なのか?という時に

大いなる大宇宙と
小宇宙である人間とをつなぐ

その中継ポイントが内臓である
と解説される

すなわち宇宙の意思を汲む際の
アンテナとなり

この世に体現する存在としての
『人間』を人間たらしめるもの

その起点が内臓であると
言われている

 
 
理屈をこねると
まだまだたくさんとあるのだけど

なぜ内臓なのか?
なぜ皮膚なのか?

なぜ2時間以上触れるのか?
なぜ他人の手で触れるのか?

と改めて問うてみた時に
それはあくまでも

『文化的・創造的な暮らし
 のために必要である』

ということに落ち着いてくる

自分のいのちの価値を
どこに設定するか?

そこに尽きる

 
 
そんなこんなで
悶々とした自問がまたひとつ解けた

さてこの価値をいかに伝えていくか?
嬉しい難問である

もっと直感力を磨いていこうと思う