心というものを分解してみる その①

何やらかんやらの知識をごった煮にして表した心の図。 

ほんとざっくりな説明というか意訳というか、というところなので、厳密には間違っている部分もあるでしょうということをまず謝っておきます。

 
《 心とは 》

スマホに例えてみましょう。

 
その① 『心』というスマホがあります

その② バッテリーを『意識』と考えます

その③ ここには『感覚』『思考』『感情』『意欲』という4つのアプリがあります

その④ 今あるバッテリーをどこにどう使うのか?ということが『心の働かせ方』

 
なのであります。まぁ、なんて簡単。

そのアプリをどう使うか、は持ち主次第。

例えば実際のスマホで「Safari」の使い方としてお料理レシピを探す人、おいしいお店を探す人、文献検索ばかりしている人、エロサイトしか見てない人、などなど。

「Instagram」で景色や植物などの写真を見て投稿する人、食べ物の写真を見て投稿する人、お子さんの写真を見て投稿する人、エロ写真しか見てない人、などなど。

それがどうだというジャッジは不用ですよね。好きに使えばよい。

同じ形をしたスマホでも持ち主の味が出てくるわけです。

それが各々の『心』というものです。

 
 
《 自分とは 》

ヨーガの根本経典であるヨーガ・スートラでは私たちは各々、『プルシャ』と『プラクリティ』というもので構成されていると言います。

ざっくり言うと

・プルシャ:見るもの、魂、空(くう)
・プラクリティ:見られるもの、物質、色(しき)

と言うものです。

 
 
《 ストレスとは 》

ヨーガ哲学では、この2つを混同してしまうから大変なことになると言われています。

『見るもの』はあくまでも見るもの。それが本当の自分。

プルシャが本来の自分であると認識できていない、自分が何者かを理解できていない、そしてプラクリティを自分だと勘違いした結果として心身のアンバランスが生じます。

これがいわゆるストレスです。

なのでヨーガの目的は、わちゃわちゃしたプラクリティを鎮めて、プルシャとつなぐことです。となっております。

(yogaとはつなぐという意味のサンスクリット語から来ています。)

 
  
ところで、私たちはスマホに乗っ取られているって感じる瞬間はありませんか?

四六時中スマホを手放せず、お風呂もトイレも寝床も一緒。

動きがあればすぐに反応し、生活リズムをすっかり狂わせてしまう。

挙句に情報や人間関係に振り回されてストレスが溜まり心を病んでしまう。

こんな状態をプラクリティ、心の『暴走』と捉えます。

プルシャがプラクリティに乗っ取られている!

使い方間違ってバッテリー使い果たす、オーバーヒートする、そんなところです。

 
 
私の中ではちょうど盛り上がってきたところなのでずが、長くなってきましたので、この続きはまた明日。

※ 図の細かいところは広い心で見てあげてください 笑