感情に寄り添う

おなかに触れているとふと手が止まるところがあります。そんなに多い頻度ではないけど涙が止まらなくなることも…。

なぜ止まるのか、なぜその場所なのか、理由はあるかもしれないし、ないかもしれない。

それでもその場所がただ触れてほしいと願っているし 私が触れたいと思う。その感覚が一致している、ただそれだけです。

 

ではそれがクライアントさんご自身の感覚と一致しているかと言うと、それはまた別の話。その方の感度によります。

本当であればクライアントさんご自身がご自身の想いに気づくことが必要です。

ただ残念ながら現代生活がその感度を阻害してしまっています。

だから心身の不調が現れやすい。

 

触れただけで不調が分かるのですか?と聞かれることもあります。

答えは Yes です。

ただし私に特別な能力はありませんので、目に見えるものしか見えないし、霊視も透視もできません 笑

私が提供しているチネイザンでは中医学の理論と、施術前のヒアリング内容と、その感覚のすり合わせをし、状態や生活への対応をお伝えしています。

なのでクライアントさんがお話してくださる情報が合わさって初めてセッションが成立します。

 

何かしらの滞りに触れた時、私は自分自身の体内に変化が起こります。胸部がふわふわざわざわする感じ、めまい・吐き気のような感じ……

人によっては目に見えることもあるし、耳で感じることもあるそうです。

その滞りは何を表しているのかというと、物質的な内臓の疲労や詰まりであったり、未消化な感情であったり、様々です。

 

以前、とあるクライアントさんの背骨(内臓ではありませんが)に触れながらどうしても気になった場所について尋ねると、その少し前に受けた手術の際に挿管されていたとのことでした。

また別のクライアントさんの場合は喉元や胸元に、言葉にならない想いが詰まっていることもありました。

要因が何であろうが滞りがあると必ず反応してくれます。

というのが施術の際のからくり。

 

触れていく中で「呼ばれている」場所があると、どうするのか?

まず、触れていいのかどうか?を尋ねるところから始めます。

さらにどう触れてほしいのか?どの強さで、どの角度で触れてほしいのか?を尋ねながら、手を進めていきます。

まだそこにいたい?もう出て行っても大丈夫?どうしてほしい?そんなことを問いかけ、あとはただ触れておけばゆるりとゆるんでくれます。

ただ触れる、ということをやりながら、これこそが感情に寄り添うことなのだなぁといつも思います。

言い分を聞いてあげる、想いを成就してあげる。

ほんの小さな主張をそうかそうかと叶えてあげる。その積み重ねが自分の力みを抜き、フラットな状態でいられるようになります。

チネイザンという施術を通して感じることから始める。そしてあなた自身で触れてあげられるようになったら解放は加速します。

外の世界にばかり意識が行っている状態から、内の世界へと意識の行き先を変えてみませんか?

その瞬間を待っているのはほかでもないあなた自身です。