チネイザンに沼るワケ

他人軸で
他責で
自己肯定感低くて
自己犠牲感高くて
くれくれちゃんで
かまってちゃんで
頭でっかちで
プライドだけ高くて
言葉の暴力
時間泥棒

そんなわたしの重荷を降ろしてくれたのが
内臓トリートメントである『チネイザン』

自分を変えようとしなくても
他人に期待しなくても

思考を働かせなくても
言語で表現しなくても

おなかをもんでもらうだけで
心身の悪露が出ていってくれた

一度、その鎧がほころび始めると
するすると糸が解けていくように

より根っこにある熱望に
近づいていくことができる

だから多少の痛く苦しい慟哭も
喜んで受け止めることができる

内臓には、皮膚には
それを実現するパワーが秘められている

ただし本当に望んだ人だけが辿り着ける
ダイナミックな手法

その入口に立った人は
強く美しい

もし何かもやもやとしている人がいれば
そんな感覚を味わっていただきたいと思う